49-hack

~ Let's Try!な、アラフィフからのライフハック道 ~

HITOMから、『揺らプラ』へ変更

最近、マイクロサービスというのが注目を集めているらしい。

ちょっと見てみたら、15年ほど前に流行ったSOAの概念とあんまり変わっている気はしない。

もっともSOAからクラウドへ名前がわかりやすくなっただけで、大人気になる、というより、同じ概念が名前変えただけで何度もゾンビの様に蘇るのがこの業界の常。

ということで、HITOMから『揺らプラ』=揺らすプラクティスに変更することにしよう。

『揺らプラ』よりも『ゆらプラ』の方がいいかなぁ。

でも、肉筆だとゆという字が難しいので躊躇する(笑)

 

『ゆらプラ』は、人の心を揺らすためのプラクティス(=実践)である。
言い返せば、『他者の意思決定に影響を与えるためのプラクティス』である。
他者の意思決定がいつもロジカルとは限らない。

私の座右の銘(=私の造語)、『人は見たいものしか見ないし、見たくないものは見えない』という現実があるからだ。
(他人の言葉を使えば、これはバカの壁ともいう)

人というのはロジカルな判断が誰でもいつでもできるわけではないから。
情動の問題もあるだろうが、単なる知能レベルの問題が大きく作用すると思われる。


『ゆらプラ』を支える基本的な考えは、『自身の「知性」を磨くことで、他者の意思決定に対して論理的な筋道を提示するための方法論と、意思決定に関与する他者への共感を活用した情動の操作』である。

なお、ここからは、スコラとか、カントとか、ヘーゲルとか、哲学的な話をするわけではなく、あくまでも俺論である。

なぜなら、そもそも私は哲学は無教養だし、興味ないし、言葉遊びがしたいわけじゃないし、アラフィフが半世紀生きてきて、哲学が必要となったこともないし~

 

以下は俺論定義:

「知性」:『物事を抽象化(=モデル化)し、自身や他社が理解できるようにする論理的な性質』

人間と動物との根本的な違いは、(神様の存在とか)無いものをあるものとする、この能力の存在であり、この抽象化の能力のおかげで、ホモサピエンスはネアンデルタール人などの体力的にも優れる人類を絶滅に追いやり、万物の長になったというのを最近、本で読んだ。

この能力のおかげでそれまでは150人ぐらいの集団でしか、うまく機能しなかった組織化の能力を、数万人まで増やしても組織化・統制化ができるようになったらしい。

 

長くなってきたなぁ。

後、10分で終わらせよう(なお、ここで書いている内容は完全に今、書きながら考えているので後でガンガン変わる予定)。

『知性』は、以下の3つの性質(=定性能力)で構成される。

1.『悟性』・・・問題領域の全体的、構造的な理解をする定性能力

2.『理性』・・・問題を解決するために仮説検証(=推論)する定性能力。切り口。

3.『感性』・・・上記2つは意識配下の能力だが、感性は無意識配下な判断能力。直観力と言われるものであり、その人個人個人の判断基準の差異はここに現れる(ものとする)。より良い直観力を得るために「感性を磨く」ことが重要である。←どうやって???


ただし、自身の知性が他社の意思決定にそのまま受け入れてもらえれば万々歳なのだが、そうはいかない。
ここで、『共感性』である。
(共感する能力。Empathy。共感性がなければ、相手の心は揺らせない)

知性は個々人の資質や知識レベルにより差異があるので、自身が望む方向へ他者の心を揺らすために共感力(=信)が重要である、みたいな?
なお、知性は定性能力で、知能という定量化によって、そのレベルが測定できるものとし、意思決定を行う他者の知能レベルごとに操作が必要となる、みたいな?


何かまとまってきた。


もう一回。
・知性は物事の抽象化をするための枠組みであり、
・その枠組みを構成する要素として悟性、理性、感性がある。
・共感性は、他者との知能レベルのすり合わせを行うとともに相手の情動を操作する要素。

「『ゆらプラ』とは、他者の意思決定を操作するための術体系とその実践である。」ニンニン♪本当はビジネス忍術と言いたかったニン♪

ふぅ、まぁまぁ、まとまったか。
後は、この基本コンセプトに基づき、個別の定性能力にツールとアプローチ、そして実践を入れていけば出来上がりだな。
文章だけだとわかりづらいから、図解を一枚入れたいところだなぁ。