『ゆらプラ』構築中~ 『知性とは、悟性と理性、そして感性からもたらされる』
来週初からはいよいよ『ゆらプラ』の実行フェーズに入る。
『ゆらプラ』を完全に構築できているわけではないがプラクティスが進んでいくうちに自然と完成されていくはずだ。
なので、昨日、書いたブログを読み返していて、説明が足りないと思われる部分を少し補足しておく。
(考えながら書いているから、今書いておかないと後で忘れてしまうから)
『一般論としては、対象を理解する能力が悟性であり、その理解をもとに推論を行うのが理性である。』
と書かれている。
まさしく、大局を理解して(=悟性)、詳細な裏付けをするのが理性(感情が入らない純粋な論理)である。
そして、この大局を理解する(=悟性)、というのは実際は仮説立案なわけで、(仮説の)検証が理性にあたる。
大局を理解する、というのは物事をモデル化することをさすのであろうか?
それはその通りだろう。
とはいえ、網羅的に事象をモデル化しようとしていたら、いつまでたっても終わらない。もちろん、モデル化の試行錯誤はするだろうが網羅的な試行錯誤をやったら、完成形に行きつくまでに時間がかかりすぎる。
そこで、網羅的ではなく、筋道を立てることにより、試行錯誤の工数を極端に少なくする必要がある。
一般的にはこれができると『筋がいい!』って言われる。
効率よく大局で事象を理解するということは、理性と感性のせめぎあいで決まってくるのではないか?
この辺に『ゆらプラ』の本体がある気がする。
理性はあくまでも論理的に最適解を目指す。
どこまで行っても、いわゆる知能の向上が重要。
それは今最先端の人工知能がやっていること。
人工知能と人間の知性は異なる。
(正確には、異なっていなければ、人間は滅ぶしかない)
知性と知能は全く異なる。
知性は、解答がない問題に解答をつくることであり、知能はあるべき解答を考える性質のことだ(と考える)
どうせ、人間も100年もしないうちに脳みそを人工知能につなげるのが普通になるのは疑いようのない事実だ。
予言ではない。
時間軸が未来なだけのただの事実だ。
人間の進化は他の動物と違って、自前のDNAの変化ではなく道具を使うことで環境に自信を適応させてきた特殊な生き物だからだ。
寒ければ、(体毛をはやすのではなく)毛皮を着た。
食中毒にならない丈夫な胃腸ではなく、焼いたり、塩で殺菌したりした。
人間に重要なのは、多様性をどうやって確保するかだ。
理性偏重では、行動が画一化して、人類はかならず進化の袋小路に入る。
新しい事態に対応できなくなるからだ。
そこで、人類は感性によって、悟性に多様性を持たせたと考える。
感性は、個々人の個性に縛られるため、結果、多様性を生む。
個性が汎用的でない人の悟性は、ほとんどの人とは違うアプローチをとるだろう。
ただし、優れた理性が備わらなければただの狂人である。
感性は、ほとんどはその先天性(=自身のDNAに依存するもの)により、異ならせるであろうが、後天的(=環境起因)でも個性を特徴づけることもあるだろう。
悟性は思考の切り口や思想が重要であり、個々人での違い=多様性は個性が大きく影響を与えるということである。
悟性は大局であり、目的に至るまでのシナリオ的な対象の理解をする。
分かり合える=共感するということは、結果、目的に至るまでのシナリオを共有することだろう、と今時点では考えている。
相手の心を揺らすということは、シナリオを共有するために、相手が持っているシナリオのずれを自身で気づかせることだろう、と思っている。
EQ(も重要だけれども)とかの話ではない。
損得だけの話でもない。
共感するためには相手の個性が大きく影響してくるだろうさ。
神様を信じている人(=これが彼の顕著な個性だとすれば)に、神様がいない世界を行き成り説いてもみても共感は生まれないだろう。
あぁ、この辺の考え方は考えながら書いている今現在、面白いなと思っている。
共感させる(=心を揺らす)には、相手の個性を理解し、尊重しないと難しいわけだ。
目的的なアプローチが大前提となるな。
となると無関心度が高い(=問題意識が低い)人の心を揺らすのに一番重要なことは無関心のままにさせておくということか?ちがうな無関心度が高い人にはどうアプローチすればよいのか。。。後、もう少しで整理できそうだ。
土日に考えよう。
情動が重要な気がするが、情動で動かない人はどうゆらす?
やっぱり、情動と論理の両方が必要な気がするな。
ソーシャルスタイル的な人の類型で対処できる気がするな。
詐欺師とかってこの辺の動かし方がうまいんだろうなぁ。
後、TVショッピングや出張販売みたいなのと同じか?
後、本当にもうちょっとだなぁ。
今日はここまで。