多様性と適応の間に、自己変革性があるのだろう
『(強いものではなく)環境に対して、適応できるものが生き残る。』
昔から言われている話だが、「どの環境に適応するか、できるか」という点で多様性が重要である。
だが、多様性が個々の生物の特徴に根拠を見出すとすれば、自己変革により環境への適合自体に幅を持たせることが可能となるであろう。
例えば、クモが巣を張る場合に地形に合わせることによって自分の環境を構築できるみたいな。
そして人類は、この自己変革度が非常に高いために極端に環境に対して適応したのだと思う。
一言でいえば、道具の使用だ。
この間、NHKの人類進化の番組をチラッと見ていたら、人類が全身毛むくじゃらじゃないのは毛皮を脱いで汗腺を発達させたからだ、と言っていた。
他の動物は厚い毛皮を着ているせいですぐにオーバーヒートしてしまうが、汗腺を発達させた人類は傷を負った獲物が、弱るまでしつこく追跡することが出来たんだそうだ。
そんな馬鹿な。狼とか1000kmを走りぬくとか昔から言うじゃん、とか思ったけど、よく考えたら、狼の生活圏は寒い所だから、大丈夫かもなぁ。
で、そもそも社会性動物の上に毛が少なくなったことでお互いの表情が見やすくなってコミュニケーションが取りやすくなり、さらに社会性が高まった!みたいな話につながるのだろう。
なので、『多様性(=divercity) × 変革性(=transformable) = 環境への適合(=adaptivilty)』みたいな感じ?
何をメモしたかったのかわからなくなってきたが、きっと、感性が人間の知性に大きな影響を与える(=多様性を与える)が、人間の知性は他者の知性から導き出された知性との共感により成り立っているとすれば、共感の度合いを大きくすることが変革性そののものになるはず。
よって、「『ゆらプラ』は他者との共感を高めるための自己変革手法、他者変革手法である」というオチにしたいんだっけ?
『ゆらすのか』、『ゆらされるのか』、『ゆれるのか』の3つの視点で共感を考えていく、という感じ?
共感の先にあるものは、他者との信頼関係構築であり、(信頼関係が構築されると)お互いの管理コストが極端に下がる、ので知的生産性が大幅に向上する(から共感するための努力は進めるべき)、みたいな?
そのためには己の知性に磨きをかけろ!的な?
今日はここまでにしておくか。
先週からストレートネックと消化器系体調不良のせいで何もゆらプラが進まん。
明日からは頑張ろう。
『ゆらプラ』構築中~ 『知性とは、悟性と理性、そして感性からもたらされる』
来週初からはいよいよ『ゆらプラ』の実行フェーズに入る。
『ゆらプラ』を完全に構築できているわけではないがプラクティスが進んでいくうちに自然と完成されていくはずだ。
なので、昨日、書いたブログを読み返していて、説明が足りないと思われる部分を少し補足しておく。
(考えながら書いているから、今書いておかないと後で忘れてしまうから)
『一般論としては、対象を理解する能力が悟性であり、その理解をもとに推論を行うのが理性である。』
と書かれている。
まさしく、大局を理解して(=悟性)、詳細な裏付けをするのが理性(感情が入らない純粋な論理)である。
そして、この大局を理解する(=悟性)、というのは実際は仮説立案なわけで、(仮説の)検証が理性にあたる。
大局を理解する、というのは物事をモデル化することをさすのであろうか?
それはその通りだろう。
とはいえ、網羅的に事象をモデル化しようとしていたら、いつまでたっても終わらない。もちろん、モデル化の試行錯誤はするだろうが網羅的な試行錯誤をやったら、完成形に行きつくまでに時間がかかりすぎる。
そこで、網羅的ではなく、筋道を立てることにより、試行錯誤の工数を極端に少なくする必要がある。
一般的にはこれができると『筋がいい!』って言われる。
効率よく大局で事象を理解するということは、理性と感性のせめぎあいで決まってくるのではないか?
この辺に『ゆらプラ』の本体がある気がする。
理性はあくまでも論理的に最適解を目指す。
どこまで行っても、いわゆる知能の向上が重要。
それは今最先端の人工知能がやっていること。
人工知能と人間の知性は異なる。
(正確には、異なっていなければ、人間は滅ぶしかない)
知性と知能は全く異なる。
知性は、解答がない問題に解答をつくることであり、知能はあるべき解答を考える性質のことだ(と考える)
どうせ、人間も100年もしないうちに脳みそを人工知能につなげるのが普通になるのは疑いようのない事実だ。
予言ではない。
時間軸が未来なだけのただの事実だ。
人間の進化は他の動物と違って、自前のDNAの変化ではなく道具を使うことで環境に自信を適応させてきた特殊な生き物だからだ。
寒ければ、(体毛をはやすのではなく)毛皮を着た。
食中毒にならない丈夫な胃腸ではなく、焼いたり、塩で殺菌したりした。
人間に重要なのは、多様性をどうやって確保するかだ。
理性偏重では、行動が画一化して、人類はかならず進化の袋小路に入る。
新しい事態に対応できなくなるからだ。
そこで、人類は感性によって、悟性に多様性を持たせたと考える。
感性は、個々人の個性に縛られるため、結果、多様性を生む。
個性が汎用的でない人の悟性は、ほとんどの人とは違うアプローチをとるだろう。
ただし、優れた理性が備わらなければただの狂人である。
感性は、ほとんどはその先天性(=自身のDNAに依存するもの)により、異ならせるであろうが、後天的(=環境起因)でも個性を特徴づけることもあるだろう。
悟性は思考の切り口や思想が重要であり、個々人での違い=多様性は個性が大きく影響を与えるということである。
悟性は大局であり、目的に至るまでのシナリオ的な対象の理解をする。
分かり合える=共感するということは、結果、目的に至るまでのシナリオを共有することだろう、と今時点では考えている。
相手の心を揺らすということは、シナリオを共有するために、相手が持っているシナリオのずれを自身で気づかせることだろう、と思っている。
EQ(も重要だけれども)とかの話ではない。
損得だけの話でもない。
共感するためには相手の個性が大きく影響してくるだろうさ。
神様を信じている人(=これが彼の顕著な個性だとすれば)に、神様がいない世界を行き成り説いてもみても共感は生まれないだろう。
あぁ、この辺の考え方は考えながら書いている今現在、面白いなと思っている。
共感させる(=心を揺らす)には、相手の個性を理解し、尊重しないと難しいわけだ。
目的的なアプローチが大前提となるな。
となると無関心度が高い(=問題意識が低い)人の心を揺らすのに一番重要なことは無関心のままにさせておくということか?ちがうな無関心度が高い人にはどうアプローチすればよいのか。。。後、もう少しで整理できそうだ。
土日に考えよう。
情動が重要な気がするが、情動で動かない人はどうゆらす?
やっぱり、情動と論理の両方が必要な気がするな。
ソーシャルスタイル的な人の類型で対処できる気がするな。
詐欺師とかってこの辺の動かし方がうまいんだろうなぁ。
後、TVショッピングや出張販売みたいなのと同じか?
後、本当にもうちょっとだなぁ。
今日はここまで。
内部ストレージの「その他」が36GBって。。。
日頃使っている、レノボの10インチタブレット=YogaBook。
RAMが4GBで、ROMは64GB。
SDカードとして32GBが入っているのでそれなりのスペックだ。
所が昨日あたりから、ROMが上限近くなり、今日、とうとう、お腹いっぱいだよアラームが出た。
もちろん、そんなはずはない。
大きなものと言ったら、Kindleで無料漫画とかせいぜい10冊分ぐらい。
PrimeVideoで4GBぐらい。
後は微々たるもの。
アプリもほとんど入れていないから、キャッシュか?とおもって色んなツールをインストールして試してみたが10GBぐらいしか減らない。
結果、「その他」が36GB以上残ったままお手上げだ。
工場出荷状況にすれば、とりあえずは元に戻ると思うので、来週やってみようと思う。
でも、ただ戻すのでは芸が無いのでスマホに入れてある64GBSDカードを128GBに取り換えて、そのSDカードをタブレットに移し替えるつもりだ。
一仕事になるがスマホ側のSDカードもそろそろ40GB越えそうだし、少なくとも3年は使っているから替え時だから、まぁいいだろう。
今使っているGalaxyS8も何にも不満が無いから、あと1年は確実に使うし。
それにしてもさすがにこのサイズになってくるとデータの移し替え作業に時間がかかって大変だよなぁ。
とてもクラウドストレージのみに移行はできんなぁ。
と、覚え書き。
人間らしさとは?
書いておかないと忘れそうなので、メモ書き。
「人間らしさ」と書くと「人間」と「人間じゃないもの」を大きく区別する特徴が「人間」には存在するという言ことになる。
それは何か?
ぱっと思いつくのは、以下2点だろう。
1.「人間らしさ」とは、情動である。
他者を思いやるやさしさ=愛。
他者をうらやむ、嫉妬、怒り、笑ったり、泣いたり。
人間は他の動物よりも情動が明らかに豊かだ。
さみしくて悲しさを表現する動物はいるだろう。
うれしさを表現する動物もいるだろう。
しかし、他者を思って涙を流す動物がいるとは今のところ思えない。
さらに上位の笑う動物はちょっと考えられない。
人間はこれからもっと多様な感情を手に入れるのではないか、とずっと前から思っている。
2.「人間らしさ」とは、理性である。
論理的に考える力は人間が他者を圧倒する特徴だからだ。
感性に邪魔されず、思考することが可能であることが人間らしさゆえに、昔から物事を客観的に見れることが重要とされてきた。
さて、このままだと『ゆらプラ』には使えない。
1の情動は置いといても、2の理性については、それを突き詰めていくと人工知能の追求=人間らしさの追求である、ということと同義語になってしまうからだ。
これでは『ゆらプラ』のテーマにそぐわない。
また、1の情動の件も、感情的なことを人間的と評するのも納得感が薄い。
でも、全てを論理的に考えるのではなく、愛(や怒り)などの情動によって、行動が個々の人間では異なるというのは少し納得感があるなぁ。
それはさておき『ゆらプラ』の基本は、個々人の悟性と悟性の共鳴によって共感が発生する、というものになる予定だ。
ただし、悟性=大局観=シナリオ思考には、目的が必要となる。
逆説的には目的的に思考できない人には大局観を理解すること自体が難しいと考えて言う。
目的的じゃない=無関心度が高い人物ということになるがそういう人はどんなふうに解釈すればよいのか。
それはさておき2、1の情動が人間らしさとしたときに、SoWhat?(=それで何なの?)
きれいにまとめようとすると、情動による行動の”ゆらぎ”(=個人差)が人間らしさ、という方がよくて、この行動の揺らぎが多様性である、というのがいい感じか。
そうすると『人間らしさ』が行動の多様性であり、行動の多様性が変化への適応性を高めるとするならば、より優れた変化への適応性(=Adaptive)が生き残る道であるとなる。
いい感じに頭の中では整理が進むが、最終的な落としどころは、AI時代の人間生き残りのためには、人間特有の共感力(=お互いを理解しあう)の強化が重要である、というところ。
結果、ニュータイプが生まれ、駆逐を恐れたオールドタイプとの間に宇宙世紀0079年、後世に「一年戦争」と呼ばれる戦いが起きるのである。
共感力の強化はAIに対する圧倒的なAdvantageである。
理性と感性の組合せにより、悟性が創造され、総じて知性(=Intelligence)になると括れば、知性の拡大がAI時代を生き抜くためには重要であり、共感力の強化につながる、そんな感じ?
だいぶまとまってきたなぁ。
知能は、答えがある問題に対して回答する能力とすれば、
知性は、答えがない問題に対して回答する能力となる。
おっ、もう少しで完成しそうだ。
でもさすがに疲れたので今日はここまで。
しゃべり場!(古~)
『ゆらプラ』大体、頭の中ではまとまったの巻
主題は、「『ゆらプラ』のススメ」
副題は、「~ AI時代を生き抜くためのパーソナルIT活用術 ~」
キャッチは、「『ゆらす』のか、『ゆらされる』のか、『ゆれる』のか」
順番的には、逆だけど、韻を踏むとこうなるし。
・人の心を『ゆらす』のか、
・人に心を『ゆらされる』のか、
・自分から心を『ゆれる』のか、
ゆらプラのイメージはこんな感じか?
週末にAmazonPrimeVideoでキカイダーのアニメを2,3話見て、閃いた(笑)
パッションオレンジが、「悟性」を表し、
メロウグリーンが、「理性」を表し、
総じて、「知性」と呼ぶ、みたいな?
最後にスカイカラーが、「感性」を表し、
「揺れるとは、「感性」と「感性」が共鳴することであり、「共感」と呼ぶ」みたいにまとめるとなんか、わかったようなわからないような。
いや、こんなことしている暇は本当に無いんだけど、バカだね~
それはさておき、次回で大体、構想を完成させ、実際のプラクティスに移るのだ。
『ゆらプラ』アイデア中:2018/04/23
後、4分で書けるところまで。
週末は何もできなかったが『ゆらプラ』構築は進めないと。
プラクティスに行く前に屋台骨のBOKが決まらない。
人の心を揺らすプラクティスなんだから、二人称か三人称。
実際には二人称でよいか。
考えないといけないのは知識エリアが4つでは足りないということ。
仮設思考・論点思考な知識エリアが必要だと今朝起きたら気が付いた。
で、3次元なイメージ。
アプローチ、データ、ツールで立方体な三位一体モデル。
すなわち、心技体。
アプローチ=技、データ=心、ツール(PIT)=体、かなぁ。
何か、違うけど、3つをまとめて、今までと違う自分を作ってく、みたいな?
とりあえず、今朝はここまで。